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                       中医学とは


 中国では中国の伝統医学を「中医学」と呼んでいますが、これは古典を充分に尊重しながらも、後の時代に起こった新しい考え方を取り入れて変容しています。 中国では伝統医学を非常に重視しており、ほとんどの総合病院は中医科を設けています。
              

                                     中医学と日本漢方


 
中医学は数千年の歴史を持つ中国伝統医学であり、独自の発展をした日本漢方とは別の医学として発展しています。一言で言うと、中医学の基礎となっている陰陽五行説臓腑弁証と言った論理性にあると言えます。一方日本漢方では理論よりも経験を重要視した為、基礎理論をはぶいてしまいました。もちろん経験も重要ですが、基礎理論なくして応用は難しいと思われます。

 
 中国では有名な「周礼」医師制度の記載がみられるのが紀元前1000年ごろ、名医・扁鵲(へんじゃく)が活躍していたのが、紀元前600年ごろ、また、紀元
16年には人体解剖が実施されました。 その後、「黄帝内経(こうていだいけい)」「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」「傷寒論(しょうかんろん)」などが編纂され、230年ごろには華佗(かだ)が麻酔手術をしています。

 
 こうした中国医学が日本に入ってきたのは、大和朝廷が新羅(しらぎ)に医師の派遣を求めたときからとされています。その後、百済(くだら)より高麗医の徳来を招き、その子孫は代々難波に住んで医師業を行い、「難波の薬師」と呼ばれました。
また有名なのが、遣隋使や遣唐使などを通じて文化の移入が続いていた日本に唐の高僧・鑑真が最新の医学と一緒に多くの薬物を日本に紹介したことです。 平安時代には多くの中国医薬書の存在が記録されていますが、日本で医書が著されるようになったのもこのころです。


 しかし現存する最古の医書「医心方」も、内容は隋・唐の時代の医学を要約したものだったように、当時はまだ中国医学そのものを利用する時代でした。
室町時代に入って田代三喜(たしろさんき)が明から李朱医学を取り入れ、曲直瀬道三(まなせどうさん)らによって普及されました。これがのちの漢方の後世派(ごせは)になります。

江戸時代には鎖国の影響があり、医学も日本独自の道を歩むようになります。吉益東洞、南涯父子らの古方派(こほうは)は、傷寒論、金匱(き)要略を重視し、万病一毒説や気血水説を唱えました。


 また和田東郭(わだとうかく)や有持桂里(ありもちけいり)などの折衷派は古方、後世方のそれぞれの長所を取り入れ、古文献の考証を重んじたので考証派とも呼ばれました。江戸時代末期の医家の多くは折衷派でした。
このように日本の医学は成熟し、江戸時代後半にはオランダ医学の長所を取り入れる医家も出てきました。そしてもとの中国医学とは異なる特徴を持った日本独特の医学を漢方と呼ぶようになったのです。

 
 しかし明治時代に入ると文明開化の潮流の中で状況は一転し、西洋医学による医師免許採用により、漢方は著しく衰退していきました。とはいうものの現代では、漢方は確実に復権し、急速に見直されています。



 日本漢方は、
傷寒論(しょうかんろん)を中心とした「方証相対(ほうしょうそうたい)」という方法を用いることが多いです。例えば、寒けがして首筋が凝り、汗をかいていない、こういった風邪の初期症状のときは、理屈抜きで葛根湯(かっこんとう)の処方名があげられる。「証」に「方」が適応するわけです。傷寒論の条文にでてくる「証」を全部暗記して、なおかつ「処方」を覚えれば、その「証」に合った症状の患者さんには、その「処方」が効果あることになります。 ところが、条文にピッタリの患者さんは、現実にはなかなかお目にかかれないのです。
  
 
ところが中医学の場合は、症状が同じでも、その人の体質、そのときの体の状態で処方が違ってくる。中医学的診断により、個人差に基づいた処方がなされるわけである。この方法は、「弁証論治(べんしょうろんち)」と言います。「証」を「弁(わ)」けて、「治療法」を「論」ずるという意味になります。「弁証論治」は、中医学の核心の部分である。「弁証論治(べんしょうろんち)」をするにあたっては、四つの診察方法を用いて、患者さんから情報を収集し、その情報を分析していきます。
 
 
現代の中医学でも、傷寒論を最も重要な処方の1つとしていますが、今から1700年前の時代と、21世紀になった現在では、私たち自身の体質や求めらる治療も変わってきます。昔は、急性感染症などの疾患を漢方で治すことが求められたのですが、今は、慢性疾患やストレス病や生活習慣病などより複雑になっています。


 
こういった違いをよく理解していないと、思わぬ落とし穴にはまる場合がある。友人がよく効くという胃薬を漢方薬局で買って飲んだところ、調子が良くなるどころか具合がおかしい。この例にように、体質、病歴、そのときの体の状態によって、Aさんにはよく効く薬が、Bさんには合わないということもあり得るわけである。


 中医学を学んできた中国の中医師と日本で漢方の勉強をしてきた医師では、一人の患者を前にしたとしても診断方法も治療計画も処方する薬も違ってくるでしょう。中医学が「臓腑弁証」「気・血・津液弁証」「八綱弁証」「病因弁証」などさまざま
"ものさし"で、患者から集めた情報を分析、「証」を求め、治療法を決めますが、日本の漢方はたったひとつのものさし「方証相対」しか持っていません。その結果、中医学がさまざまな角度から患者の体を分析、病気に迫るのに比べ、日本の漢方は、「この症状ならこの薬」というように、たった一つの答えしかもてません。体質も体格もまったく違うAさんとBさん。日本の漢方の考え方からいけば、症状さえ同じであれば同じ薬が処方されることに。たとえば、風邪の初期症状で寒気があり、首筋から肩にかけてこったような痛みがあり、汗をかいていない場合は、即「葛根湯」が処方されます。それでも間違いではありませんが、「どこに原因があり、どのような考えのもとに治療するから葛根湯を処方する」という、薬処方にいたるまでの考えがまったく欠落しているため、患者個々の体に合わせたきめの細かい治療計画はたてにくくなってしまいます。


 その点、中医学はプロセスが複雑ですが、高い水準の治療が可能になります。もちろん、日本でも最近は勉強熱心な医師や薬剤師は、中医学の考え方における漢方薬の処方などを学び、中医学の考え方に基づいた漢方薬の処方をできる人が増えてきたようです。

 
 現代の日本には今の中国医学をそのまま輸入した中医学や、現代医学の考え方で漢方薬を使う方法などが漢方とともに混在しています。それぞれの特徴を知って上手に利用したいものです。